あれから3週間

今日は3月最終日。震災の日から間もなく3週間が経ちますが、ずっと落ち着かない日々でした。


私は、今回の大地震被災した、水産業で有名な市の出身です。


生まれ育った町の漁港が津波で破壊されていく映像には、何を感じていいのかもわからず、胸がつぶれました。


青森にも岩手にも福島にも親戚がたくさんいます。判明している限りでは近しい身内は皆無事でしたが、身内でもつきあいがなかった人達については情報が入るはずもなく、どうしているかな…と時々ぐるぐる考えてしまいます。


身内には、漁業関係者もいれば観光業や農業を営む人もいます。無事だったとはいえ、親戚のこれからの生活のことを思うと、いたたまれない気持ちになります。


自分が今いるのは東京。しかも現時点では計画停電対象外の23区。


こんな場所で何を言っても偽善になりそうで、言葉がなかなか見つからないのですが、これから長く続く復興の道のりで、自分に何ができるのか、少しでも貢献できることはないだろうか、と考える毎日です。




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あの日は、田舎(漁港の町)からおばが東京にちょうど遊びにきていました。

昼の新幹線で東京駅に着き、我が家に到着したのが地震発生15分前。お茶を用意していて、妙にめまいがすると思ったら、揺れていました。

揺れが強いので怖くなり、ごまをがっしりと抱きかかえておばと一緒にダイニングテーブルの下へ。

お客さんが来たばかりで大はしゃぎだったごまは、地震の恐怖など全く感じなかった様子。

おばさんにじゃれつきたくてしょうがなかったらしく、「はなせー!はなせー!」とじたばたしていました。この辺の危機感のなさは、さすがパグ…。


その後、地元に帰れなくなったおばは我が家に2週間滞在。

実家の母も、計画停電の影響で都内の会社に通勤が困難になってしまったため、度々我が家にお泊まり。


お客さんが多い非日常が続いているせいか、結構嬉しそうなごま。余震があっても基本はぐーすか寝ています。恐怖が全然ないってのはうらやましい限り。


停電はないとはいえ、余震や原発の報道でストレスを感じる私達にとっては、お気楽なごまの存在に日々心を癒されますね。


ごまがいてくれて、本当に良かった。


被災地ではない場所にいるからこそ、今は前を向いて毎日元気に生きていかないと。落ち込んでばかりいたら、支援も何もできないし。


ごまにはこれからもたくさんパワーをもらっていこうと思います。よろしく頼むよ、ごま!

(母)